Facebook終活したよ
Facebookは辞めないだろうと思っていたけれど、昨年末に退会した。
連携していたInstagramもしばらくして消した。
理由はいろいろあるが、このままアカウントを放置してるのも昨今乗っ取りも多いしどうしたものかなと思っていたところ、ふと目に入った有名人が出演する詐欺広告を見て決意を固めた。
健全でない場所に個人情報を置いておくのは危険だと強く感じたのだ。
そもそもFacebookを始めたきっかけは、音信不通になってしまった友人と連絡を取るためだった。
海外に引っ越した時、キャリアのメアドが使えなくなったのでGmailから登録変更のお願いメールを送ったら、はねられて返ってきてしまったのだ。
まだGmailに今ほど市民権はなく、キャリアメールが一般的だった。
住所(実家)を知っている友人とはなんとか連絡取れるだろうと思っていたのだが、
私自身の実家もなくなったし、私生活でも色々あった時期で、とにかく人とのつながりが途絶えていたのをなんとかしようと思ったのだ。
リアルの人間関係をSNSで構築するのはmixiの時から苦手だったので避けていたが、やってみなきゃわからんなと思い切った。
おかげで連絡先がわからなくなっていた友人と連絡が取れた。
海外引越しで途絶えた関係もあったが、体調がよくなかった時期に不義理を重ねて途絶えたものも多かった。
Facebookを始めてまもなくコロナ禍を迎え、数年が経った。
その間、「友人」のうち何人かと言葉を交わすだけで、あとは形だけのつながりで挨拶を交わすこともなかった。
流れてくるポストも近況というより宣伝が多かったし、友人申請したら間髪入れず宣伝活動されたことも何回かあった。
基本的にまた会いたいなと思う人に友人申請をしていたが、
会えるならまた会いたいが、もう会えなくてもいいかなと思うようになっていった。
もうこの人たちの人生に私は必要ないんだなと思うと、なんだか気が楽になった。
また会いたい人たちの中には、昔お世話になった人たちというのもいた。
過去に良くしてもらったと一方的に感謝の気持ちを持っていて、どこかでお返ししなければと思っていたのだ。
Facebookを辞めるにあたって、黙って辞めることもできるけど、少しでも(宣伝等以外の)言葉を交わした人にはひとこと挨拶をすることにした。
お世話になった人には、あのときはお世話になりましたと感謝の言葉を伝えた。
それは実質のお別れの言葉で、この人は私に酷いことをしたけど私は良くしてもらったと思いたかったんだなと気づいたこともあった。
これはとても大きな気づきで、自分が過剰に感謝してしまう性分であることを強く認識した。
結果的にとてもいい距離感でお別れできた。
中にはこれからも連絡を取りたいと連絡先を聞いてくれる人もいた。すごく嬉しかった。
基本出会いとは、ある時期に出会って、ある時期に必要だった人で、その時期が過ぎれば思い出の中の人になるものだ。
それでいいのだ。
私は不器用なので、頻繁に連絡を取るタイプではないし、身体も弱く体調も安定しない。
そういう私を理解してくれる友人を大切にしたい。
そんな調子でFacebookのみならず、たくさんのお別れをした年末だった。
お別れと聞くとマイナスのイメージが強いけど、悪い出会いがあるように良いお別れもあるよなぁと思った。
ま、良い出会いが一番嬉しいけどね。